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本インタビュー企画では、bridgeの共創パートナーの方々が持つ専門性や視点を通じて、社会課題や未来のビジョンについて紹介していきます。
第3回は、株式会社IF 代表取締役CEO 未来学研究所 所長 の小塩篤史さん。小塩さんは、専門分野である未来学、データサイエンス、人工知能、技術経営などを背景に、事業家としても活動されています。今回のインタビューでは、未来学の専門家の視点から「コロナショックの捉え方」について語っていただきました。
小塩 篤史(Atsushi Koshio)
データサイエンス、人工知能、技術経営などの専門分野を活用し、アカデミックな背景と起業家としての側面を融合したプロジェクト開発を行っている。 また、大学・大学院では教鞭をとり、技術を理解した未来志向の人材育成を行っている。 東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程、マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院客員研究員、事業構想大学院大学事業構想研究科長等を経て、株式会社IF、株式会社HYPER CUBEなどを設立。
– 小塩さんには、未来洞察のプロジェクトなどでご支援を頂いていますが、改めて、お仕事やご専門の分野についてご紹介いただいてもよろしいでしょうか。
もともと自分のバックグラウンドというのは、データサイエンスやAIの研究なので、データの分析や、それに基づいたシミュレーションをやっていました。手元にあるデータを使い、未来を予測することに、自分自身興味があったんですね。データを俯瞰し、多くの人が遭遇する課題を発見し、解決に通ずる一手を打ちたいという思いがありました。
シミュレーションの最たる例は渋滞ですが、渋滞がなぜおこるかというと、本当にひとりがブレーキを踏むだけでおこるんですよ。シミュレーションをしてみると、ブレーキが渋滞をつくるメカニズムが理解できます。高速道路には信号がないから、原理的には発生しないはずなのに、渋滞は発生している。理屈としてはブレーキを踏まなければいいと分かっていても、現実には起きているわけですよね。シミュレーションで予測したとしても、人間の行動は単純ではなく、色々な要素が絡み合っています。そんな中で本当に発見した課題を解決し、社会を変えていこうと思ったら、データを使ったシミュレーションだけでは十分ではないので、それ以外の学問領域も含めて考える一つの枠組みとして、未来学があると考えています。
未来学における「予測」と「構想」の観点
未来学には大きく二つの領域があります。ひとつは、未来予測。コロナの感染者数をどう減らすかというのも未来予測ですよね。実はもうひとつ、どういう未来を作りたいか、未来構想の分野もあります。現在の日本は、未来構想が無いまま、未来予測だけをしている状態になってしまっていますが、目的論がない未来予測は、未来を知っているような気になっても、結局ゴールが見えない。やはり、何のために、どのような未来を作りたいか、という目的論の設計がとても大事です。SDGsは長期的な未来構想の一例ですね。SDGsのように、どんな目標を設定するかといった領域も未来学には含まれます。
– なるほど。この未来学の観点から見ると、現在のコロナを取り巻く状況はどう捉えていますか?
未来学では、未来予想には4つの分類があって、コロナはこの2番目のシナリオ的未来なんです。
– え、そうなんですか。予想不可ではなく?
まあ、シナリオと予想不可って近い領域ではあります。予測不可能なものを、ひとつたぐり寄せる手段として、シナリオというものがあって。例えば、条約が撤廃されるとか、新興感染症が流行して全世界中が鎖国するみたいなシナリオっていうのは作れるんです。起こるかどうかはわからない、その意味では予測不可能ですが、予測不可能なものの中で、起こりやすいものや、影響度の高いものはシナリオとしてカバーができます。未来シナリオで一番有名なのは、石油会社のシェルが1960年代から作り続けている、フューチャーシナリオです。実は、彼らはオイルショックを含んだシナリオを持っていたので、実際にオイルショックが起こった時に、メジャーな資源会社の中で唯一、大きな赤字を出さなかったというエピソードがあります。
そのような意味では、コロナのような、活動を停止されるような大きな出来事が起こりうるシナリオは十分に描けるんです。ただ、日本では今まで、未来のリスク予測について、とても硬直化していたと思います。未来において起こりうるリスクを地震くらいしか想定していなかったところに、今回の感染症があって非常にバタバタしましたが、本来のマネジメント機能からすると、危機が起こった時どうするか、という引き金プランは持っておくべきだと思うんです。それがなかったことが如実に現れてしまったのが、今の状況だと思います。
マネジメントに不可欠な「危機管理」と「機会管理」
一方で、危機管理と同時に、機会管理もする必要があります。危機というと、クライシスマネジメントばかりにフォーカスされますが、本当はそこから生まれる機会もある。この機会を捉えることが、コロナに限らず日本は苦手だなと思います。例えば、日本のデジタル化が進まなかった大きな理由も、この機会管理の発想がなかったことです。人手不足のような危機を機会に展開できなかったわけです当時日本の会社は、デジタル投資の効果を紙や人件費の削減とみていましたが、むしろ本当は、デジタル化は新しいお客さんやビジネスができる機会に対してアプローチするための挑戦権だったんですよね。それを削減効果と言われてしまうと、ITに投資なんてできません。日本的な環境では、失敗は責められても、機会を逃したことは責められませんが、実は未来の利益を棄損しているので大きな損失に繋がってしまいます。
事業機会の視点からみると、コロナはネガティブなことだけではないはずです。社会洞察に基づいて、今本当に必要で求められている機会とは何かに意識を向けることが、すごく重要だと思うんですよね。
– 現在メディアでは、アフターコロナ、ソーシャルディスタンス、新しい生活様式といった言葉で、大きく生活の仕方が変わっていくことが発信されていますが、このあたり小塩さんはどう捉えていますか?
ソーシャルディスタンスを続けた時、それ以前の状態と差分が生まれる部分は当然ありますが、私が気になっているのは、コロナによって生まれた課題と、もともとあった課題のうち、後者はコロナやリモートワーク及び、新しい生活様式で簡単に解決するものではないということです。コロナで何かが変わるというのは正直難しくて、むしろ我々は現実的には制約を抱えることになります。制約が増える中で、それでも我々はどういうビジョンを目指しながらやっていくのか、ということが非常に重要になってくると思います。
制約が増えるのは、コロナに限らず、もともと存在する高齢化の問題でも同じです。ただ、高齢化では制約が急に現れてくるのではなく、徐々に現れてくるので、余計に見えにくいのですが、制約が見えてくる中で、それらを突破するアイデアや、制約の中でみんながハッピーになる未来を描くことが必要になってきます。
ソーシャルディスタンスなど、制約を抱えることは、今までよりも人間のコミュニティや社会システム運営が難しくなるということです。もちろんリモートワークには多くのメリットもありますが、当然デメリットもたくさん出てきます。例えばソーシャルディスタンスが進んでいけば、日本にもとからあった孤立や孤独の問題はより悪化していくことが目に見えています。
さらに、デジタル化とも状況は並行しています。デジタルの比重が高まっていくとはいえ、少なくとも我々より上の世代はデジタルとリアルに明確な温度差を感じる世代で、デジタルなものだけで完結できる生き方をしていないですよね。そんな中で生きていく以上、デジタル側は、デジタルによって失われている、失われるかもしれないものに対する意識を、より繊細に持つことが求められてくると思います。例えば、信頼関係みたいなもの。本当に人と人が信頼し、信用している関係を、デジタルだけで構築できるのかという問題は、今我々が直面している問題の一つですよね。オンラインで初めて会う人に案件を発注できるか、リモートだけで採用できるのか、とりあえず会いたいよねっていう感覚があると思うんです。やはり直接会った方が、顔色や気遣い、笑い方など情報量がはるかに多いですよね。そんな状況に、デジタルはせめて何をサポートできるのか、意識しなきゃいけないですね。
旧態依然としたものを変えるという意味では、大きなチャンスですが、同時に社会運営そのものはより難しくなっている状況なので、我々はより繊細にそのような本質的な部分というのを意識した課題分析が必要になってきます。ただ、デジタル化すればいい、リモートワークにすればいい、というのはちょっと違うんじゃないかなと思うんですよ。
– 制約が増えてくるからこそ、ビジョンが大切というお話がありましたが、最後に、個人や組織がどのように未来を捉えて準備していけばいいのか、小塩さんの考えをお聞かせください。
私はそもそも、コロナって未来ビジョンには何も関係ないと思ってます。
未来ビジョンをどう実現していくかの、Howのレベルではコロナで大きく変わる可能性はもちろんあります。後押ししてくれることもあれば、足を引っ張ることも両方あると思いますが、やりたいこと、作り出したいもの自体は、コロナとは関係ないはずです。
現在に生まれている危機が、未来にすごく影響を与えるのではないかという不安感の中で、急に未来生活に放り込まれたような感覚になってしまい、多くの人が迷走を深めているような気がします。その中で今自分が感じている事や、周りの環境の分析が未来に大きく反映してしまっていると。「何で今まで未来の話をしてなかったのに、急にコロナが来たら未来の話し始めるんだろう。俺はずっと昔から未来の話してるぞ」って(笑)
– はい、そういうことをこの図は表しているんですね(笑)
コロナがないと未来のこと考えないの?!という気持ちを表現しています(笑) それは、例えば3.11の時も同じです。当時は、マインドセットが変わったり、ソーシャルビジネスのムーブメントなど、いいことももちろんありましたが、3.11直後に発信されていた内容は、日本が新しい形になる、など今まさに話題になっていることと同じようなことが書いてあるわけです。何か大きなイベントがあるとこれから大きな変化が起こると考えて、あたかもその変化に対して本質的な理解をしたような共鳴がされるけれど、結局忘れてしまうんですよね。今回のタイミングで、普段から未来のことを考えよう、と変わっていってほしいと思います。でも一方で、今気づいたこと考えたことを過剰にビジョンや未来洞察に反映してしまうと、事実認識や自分のやりたいことを歪めてしまう可能性があると思うんですよ。
そもそも未来ビジョンは、コロナのようなイベントとは関係なく、独立して持たなきゃいけないものだと思っています。例えば、私は介護系クライアントのプロジェクトを支援していますが、目指す介護のあり方は、コロナの影響で実現が難しくても、変わらないはずです。逆に、オンラインで新しい教育をやりたい人にとっては、その未来ビジョンは変わらなくても、環境がHowを後押しする可能性があります。
コロナは考慮しておくべきイベントではあっても、本質的に作りたい未来に影響することではない。コロナは、日本の新しいライフスタイルを考えるきっかけにはなりましたが、私含め、コロナだからステイホームな生き方をしたいわけではないじゃないですか。
コロナというイベントに頭を縛られていると、その未来のイメージが逆に陳腐化してしまうというか。自分もワクワクするし、他者もワクワクするような未来を描こうとした時に、コロナが頭にあると描けない気がするんです。なので、やはり自分のやりたいことや、未来に起こりそうなことは、コロナとは切り離して考えた方がいいかなと思います。
個人の未来ビジョンを描くときに大事なのは、様々な未来予測に関する情報を受け取るとき、その予測をした人の前提にある考えを意識するということです。大体は予測ばかりが注目されますが、その予測に至った考え方を読み解けば、予測の意図がわかります。さらに、色々な予測を俯瞰的に見てあげることもとても重要です。たくさんの予測の中で、違う立場の人が共通に意識していることって、ある程度確からしいことがあると思うんです。同じことを意識しているのに、その上で結論が違うとしたら、それは立ち位置の反映です。そこを追及するとどのような立ち位置で話しているのかもわかります。
「人間」「時間」「空間」の3つの視点で未来を描く
未来を描くための情報源というところで、デジタル環境で私がいつも意識してるのは「三つの間を拡大する」ということです。三つの間とは、人間空間時間。全て「間」という言葉が入っていて、GAP(差異)の存在を示唆しています。人は一種類ではなく色々な人がいるから人間なんですよね。そこで、自分の中の人間の幅を広げるというのが、デジタルのすごく難しいところです。デジタルでは、世界観が小さくなりやすいと思うんです。例えば、移動ができないと、海外に行って生活し、現地の空気に触れるとか、国内でも田舎に行くとか、そういう色々な空間的な多様性の中に自分を置くことができなくなるし、色々な人間と接するっていうのも難しい。それに加えて、デジタルでは自分と近い人と、どうしても接触頻度は高くなります。
デジタルのおかげで、今ここで快適に仕事ができるのは素晴らしいことであるけれども、色々なものを失う可能性もある。そのことを認識し、小さくなりやすい世界観を、意図して広げていくことが必要になってくるのではないでしょうか。
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