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bridgeのビジネスデザイナー鈴木 郁斗が主催する、若手起業家育成組織「メルサゼミ」。このゼミでは、新たな価値の創造とビジネスチャンスを求めて、若い起業家や企業内起業家、ビジネスマインドを持った学生の活動を支援しています。
今回は、2019年3月の事例をご紹介します。参加メンバーは日本の学生で、テーマは「学生生活とストレス」。5人に1人が何らかの精神疾患にかかるとも言われる、ストレスフルな現代社会です。日本以上に過酷な競争社会であるアメリカ、中でも世界屈指のエリートが集結する西海岸シリコンバレーでは、高校生や大学生の精神疾患が大きな社会問題になっています。学生という同じ立場のメンバーにとって、他人事ではありません。
『どのようにすれば、人々が精神的ストレスを軽減し、幸せな生活が実現できるだろう?』。こんな抽象的かつ難易度の高い課題解決に向け、学生たちがカリフォルニア州シリコンバレーに降り立ちました。
サービスデザインや新事業開発では、視点の「発散」と「収束」を繰り返すことにより、UX(顧客体験)が最適化されたサービスを、順を追って具現化するプロセスを辿ります。まずは洞察と共感から『誰の、どんな困りごとを解決するのか』を明確に定義します。アイデア創出以降のプロセスでも、その視点を持ち続けることが必要不可欠です。
今回のプロジェクトでは、次のプロセスを踏襲し、国境を超えた人々の普遍的な課題の解決に向けて取り組みました。
今回のプロジェクトでは、「アメリカの人々が抱えるメンタルヘルスの課題解決」をテーマに、渡航前の2ヶ月間のデスクトップリサーチと、有識者へのインタビューを実施しました。
同年代の大学生として、共通の価値観や普遍的な欲求があり、共感が生まれやすいのではないか?という理由から、今回は現地の学生が持つメンタルヘルスの課題にスコープを絞り、さらに事前リサーチを進めていきました。
すると、合格率3%以下とも言われるアメリカ屈指の名門スタンフォード大学では、エリート同士の猛烈な競争社会の中で、精神的ストレスからうつ病を発症し、学生が自殺に追い込まれてしまうことが度々あることがわかりました。さらに調査の過程で、エリート大学に入れなかった高校生や、受験競争に疲れた高校生の自殺が、シリコンバレー界隈で相次いでいるというショッキングな現実を知ることになりました。
フィールドリサーチ(観察調査)においては、できるだけ新鮮な視点で好奇心の対象を広げ、日常の中にある些細な事象から手がかりを見つけることで、イノベーション創発につながる素材を収集していきます。観察・共感・洞察のプロセスを経て、インタビューの結果や行動観察から特徴的な発言や気になる矛盾点を見つけ、未だ言語化されていないユーザーが持つ潜在的な課題を探り出していきます。
今回、プロジェクト拠点のPalo Altoから程近いスタンフォード大学キャンパスで連日、80名を超える学生への機会探索インタビュー、大学職員や大学教授へのエキスパート・インタビューを実施しました。事前調査で見えていた、大学生の精神的ストレスや自殺の問題は確かに存在しました。
ところが、多くの学生にインタビューする中で、にわかに理解できない矛盾に遭遇することになりました。
事前に持っていた情報と、自分たちが目で見た学生の状況の明らかな乖離に、プロジェクトメンバーは戸惑い、残された時間と先の見えない現状に不安と苛立ちを覚え始めます。
この矛盾を解明すべく、さらにリサーチを進めていく中でプロジェクトメンバーは、現地の学生たちの多くがさらに気になる発言をしていたことに注目しました。多くの学生がストレスや悩みはないと言う一方で、会話の折々には無意識にストレスから解放されたいという欲求が垣間見られました。
ここから、『学業のプレッシャーはあるが、競争相手に弱みや辛さを見せられず、自分の中で抱えているという言語化されていない課題が存在するのではないか?』という具体的な仮説に至りました。また、さまざまな属性の学生にインタビューする中で、大学院生よりも学部生の方がこれらの課題を顕著に持っているということがわかり、学部生にスコープを絞ることにしました。
ユーザーインタビューをする上で、インタビューの受け手が無意識に持つ「ブレーキ」の存在を認識する必要があります。特に、以下の3つの要因を理解することで、より客観的本質的な洞察が得られます。
インタビューの中で気になった矛盾や疑問点が、課題発見の手がかりになることもよくあります。『人はすぐに本音を語らない』ということを意識し、表面的に言語化された言葉をそのまま受け取るだけではなく、会話の中のさまざまな文脈から、言語化されていない潜在意識を拾い上げていきます。そのためには何より、インタビュー対象者に心から興味を持ち、信頼関係を築きながら、踏み込んだ議論に持ち込んでいくことが重要になります。
メンバーそれぞれがフィールドリサーチで得た情報を持ち寄り、付箋に書き出した断片的な情報を、KJ法を用いて課題を概念化させていきました。
ユーザーリサーチの結果から、次の事実が明らかになりました。総じて、エンドレスにハードな勉強をすることが習慣になり、『ゆとりのない生活が続く中で、無意識のうちにストレスが蓄積されているのではないか?』という仮説にたどり着きました。
表面上は幸せに振る舞うが、実は強いプレッシャーとストレスを感じている
フィールドリサーチで観察やインタビューをした対象者の中から、特徴的な発言をしていた人、印象的だった人をベースに、ひとつの人物像に仕上げていきます。
まずはペルソナのためのアイデアをチームでひたすら量産し、出尽くしたところでアイデアに優先順位を付けていきます。優先順位の付け方にはさまざまな手法がありますが、今回は、「ペルソナへの貢献度」「新規性」の視点で最も優れているアイデアを選択しました。
また「ペルソナへの貢献度」、「新規性」と合わせて見落としてはいけないのが、「経済的合理性」と「技術的実現性」です。
どんなに斬新でユーザーにとって良いサービスであっても、ビジネスとしての合理性や技術的な実現性にかけたアイデアは、絵に描いた餅に終わってしまいます。経験や知見が少ない若年層や学生の場合、発想自体が創造的であっても実現性に乏しいという、ジレンマに遭遇することがよくあります。ただし、若年層の発想は課題の本質を捉えていることも多いため、ボツネタを厭わない発想を促進することを推奨しています。
今回は、現地で起業している経営者や投資家、起業トレーナーなどの有識者から助言を得ることで、現実的なアイデアに落とし込んでいきました。
最終的に、2チームに別れて解決のアイデアを創出しました。
Aチームのアイデア:
心身への負担を生じさせない、個人に最適化された勉強とプライベートの区分けを実現する、AIによるスケジュール管理アプリ
Bチームのアイデア:
勉強やキャリアの相談に対応してくれる、OBの先輩や専攻領域に詳しい専門家とマッチングできるオンラインプラットフォーム
アイデアを素早く形にし、ユーザーからフィードバックを得るためのプロトタイプを作ります。今回は、スマホアプリのUIを簡易的にデザインできる無料のツールを使ってユーザーインターフェースをデザインし、ユーザーがサービスを使い、課題解決に至る顧客体験(UX)プロセスを4コマ漫画で表現しました。
プロダクト(UI)のプロトタイプ
顧客体験(UX)のプロトタイプ
プロトタイプで何を明らかにするかによって、プロトタイプの形式が変ります。通常は、アイデアがコンセプトレベルで受け入れられるかどうかを、初期段階で検証します。その際には、ストーリーボード(紙芝居)やコンセプト動画、スキッド(演劇)などの手法を用いて、ユーザーが自分たちの製品やサービスを利用し、課題解決に至る過程をイメージできる、簡潔なプロトタイプを作成します。
コンセプトレベルの検証が終わり、ボタンの配置や使いやすさなど、製品の機能レベルの細部を検証する際には、より具体的なプロトタイプを作成します。今回は プロダクトのイメージができるレベルのデザインと、一連の顧客体験(UX)をイメージできるプロトタイプを作り、ユーザーへの検証を実施しました。
今回は時間の制約上、本来不可欠であるプロトタイプの検証と学習、改善を繰り返すプロセスを実行できない代わりに、ユーザーに検証を実施し、次のフェーズにステップアップするためのプロセスを設計しました。
仮説検証プロセスの設計では、以下の要素を明確化します。
最後に、ビジネスモデルキャンバス(リーンキャンバス)を用いて、具体的なビジネスモデルに整理していきます。ここでは、以下を描き、より具体的なビジネスモデルとして仕上げていきます。
プロジェクト最終日。シリコンバレーのビジネスやアカデミックの有識者を招き、活動のプロセスと成果を発表しました。『「学生にしてはすごいね」で満足したくない』。プロジェクトメンバーはそんな意気込みを持ち、先輩方からの厳しいフィードバックをありがたく受け止める心構えで臨みました。
オーディエンスからは、自分たちでは気づかなかった盲点や、さらなるアイデアをいただき、プロジェクトメンバーの活動に賞賛のお言葉もいただきました。心地よい達成感を得た一方で、『ここで満足して終わってはいけない』という煮え切らない気持ちが残ったことも事実でした。メンバーのうち数名は、引き続き問いを深めるべく、当社でのインターン生としてデザイン活動を継続することになりました。
ユーザーリサーチを実施し、アイデアを創出して、妥当性を検証し、最終的に具体的なビジネスモデルに仕上げるには、実際には、今回実践したプロセスを数ヶ月の時間を掛けて進めていきます。今回は2週間という時間的制約がある中で、ある程度のアウトプットに至ることができたものの、実際に事業として成り立たせるためには、ここからさらに仮説や検証、学習、改良のプロセスを繰り返していく必要があります。
今回、プロジェクトメンバーの学生たちは、文化と言語の壁というハンディのあるフィールドで、「メンタルヘルスの課題解決」という、抽象的で難易度の高いチャレンジに挑みました。メンバー同士の意見の食い違いや初めての事業創造活動への不安や苛立ちを持ちながらも、常に前向きに貪欲にプロジェクトに取り組み、最後は達成感を得て笑顔で終わることができました。
国や民族を超えて価値創造を目指す中では、文化や言葉、現地の人々の生活文脈や物事の捉え方を、当事者目線で理解しなければなりません。一方で、サービスデザインを設計する上で最重視すべき、人間が持つ普遍的な情緒や価値観は、国や民族が違っても共通しているものです。そして、困難で不確実な状況を『楽しむことができる』気持ちがとても重要です。
創造的なアイデアによって社会問題を解決する活動は、ソーシャルイノベーションと呼ばれています。日々の喧騒の中でつい忘れてしまいがちな創造性は、実はこれからの不確実な時代において最も重要な素養になります。その点で、社会における固定観念が少ない学生の新鮮な目は、サービスデザインにおいて大きなアドバンテージかもしれません。そんな彼らがこれから社会に出てからも、好奇心を失わず、創造性を育み続け、価値を創出し続けられる人材になってくれることを願ってやみません。
−written by 鈴木郁斗/株式会社bridge